So Mitsuya
コラージュに込められた
ストリートの精神
〈グッチ〉や〈ワコマリア〉など、ラグジュアリーからストリートまでさまざまなブランドのビジュアルを手がける写真家、三ツ谷想。今ファッションシーンで最も注目を集めるクリエイターの1人だといえるだろう。コラージュの手法を用いてつくり上げられる作品は、一目で彼のものだと認識できるほどのパワーやユーモアがある。瞬間を切り取るものとは異なるアプローチで表現するスタイルの背景に目を向けてみると、写真というメディアの性質を逆手に取る斬新な発想と、つねに遊び心を忍ばせるストリートに通ずるマインドが見えてきた。
Photo_Haruki Matsui
Edit&Text_Yuki Akiyama
真実性を逆手に取る
架空のできごとを撮影したようにも、本当にそこで起こっていることを撮影したようにも見える。三ツ谷の作品をはじめて目にしたときから、現実と虚構の狭間を映すような表現に刺激的な違和感を感じていた。その正体を明かすべく、彼に取材を申し込んだところ、事務所を兼ねた自宅へと招いてくれた。部屋を見渡すと、愛用しているBMX、昔はよく滑っていたというスケートボード、好きなブランドの1つだという〈ブレイン デッド〉のZINEなどが目に入った。「俺はやっぱりおもしろい方が良いと思ってるんですよ。今年の夏に開催したSALT AND PEPPERでの個展でも実感したんですけど、作品づくりもファッションビジュアルの撮影も結構ふざけていいんだなっていうことに気がついて。おもしろいことを真剣に考えるためにはめっちゃアイディアが必要で、海外の人とかそれが上手いんですよ。表面的に笑える写真とか、そういう方向で楽しんでいたいですし、どうやって人を笑わせるかっていうことをもっと追求して、とにかくふざけていたいですね」。彼の言葉から浮かび上がるのは、遊び心を忍ばせ、真剣にふざけるという姿勢。部屋の様子や身なりもそうだが、マインドからも彼のルーツにあるストリートカルチャーの匂いを感じ取ることができる。
(左)移動手段として毎日乗っているという自転車。玄関前には愛用するBMXが2台並ぶ。
(右)父親の影響で小さい頃にギターをはじめ、写真をはじめる前はバンドを組んでいた三ツ谷。今でも気分転換に打ち込みで曲をつくるなど、彼のクリエイションの背景には音楽が色濃く根付いている。
(上)カルト的人気を博すロンドン発のカルチャーマガジン〈バッファロー ジン〉。エッジの効いた加工が施されたビジュアルが多く掲載されており、現在のコラージュを用いるスタイルの形成に大きな影響を与えた。
(下)〈ブレイン デッド〉が発行する『BRAIN Zine』は、ストリートカルチャーに傾倒する三ツ谷のルーツを象徴する1冊だ。ドイツ発の『DER GREIF』は、公募で作品を集める形で、大御所から新進気鋭の若手作家まで世界中の写真家の作品を掲載する雑誌。写真をはじめた当初に彼も掲載されたことがあり、思い入れは深い。
こうした遊ぶ感覚を作品へと落とし込むために三ツ谷が用いるのが、複数の写真を組み合わせて1枚をつくり上げるコラージュという表現だ。コラージュは古くからアートの世界で使われてきた手法であり、現在でも雑誌の切り抜きを張り合わせるアナログなものからデジタルツールを駆使したものまで、さまざまな方面で目にする。つまり、彼の表現の手法自体は決して新しいものではない。では、ここまで彼の作品が日本だけでなく海外からも多くの支持を集めるのはなぜだろうか。その一因は、写真との向き合い方に迫ることで見えてくる。「写真を見るとき、みんな現実を捉えたものだという認識で作品を見ますよね。たとえば、週刊誌でキス写真が出たってなったとき、実はそれコラージュかもしれないのに、やっぱり本当だと思うじゃないですか。そうした側面を逆手に取るということを自分は一番大事にしています。せっかく写真ってそんなに騙せるんだから、もっと騙そうぜって思います」。彼の作品をはじめて見たときから抱いていた刺激的な違和感こそ、写真の真実性を利用したアプローチをとる彼の狙いであり、人々を惹きつける力の源になる。騙された、裏切られたと感じることは、ときには人に笑いや驚きを与えるユーモアにもなるだろう。写真と見る側の関係性にまで目を向け、それを逆手に取って表現する彼の深い洞察力と向き合うことで、目の前の物事を違った角度から見つめ、新たな発想が生まれるヒントを得られるかもしれない。
写真をはじめた当初は、ストリートスナップのように瞬間を捉える撮影をしていたというが、非現実的な雰囲気が漂う写真の質感からは、現在のスタイルにも通ずる部分を感じ取ることができる。
近年ではさまざまなブランドからオファーを受け、ファッションビジュアルを手がけることが多くなったという三ツ谷だが、コラージュで1枚の写真をつくり上げるスタイルは変わらず、自身の作品でやっていることを、そのままファッションに置き換えて表現する。むしろ、ファッションビジュアルの制作におけるスタンスに迫ることが、彼のクリエイションの根幹となる部分を紐解くカギとなる。「現場で撮ったモデルカットをもち帰って、今まで撮った写真と合わせてどれが合うかなってやっていくんですけど、奇跡的に合うみたいな瞬間がやっぱりあって。もち帰った後もどうなるか分からないヒヤヒヤの状態で進めるというのが理想で、偶然起こることを逃さないようにすることに集中したいんです。モデルの動きとかも基本的には自由に踊ってみてっていう感じであまり決めてないですね。思いがけず良いものをキャッチしてしまう、その才能も含めて写真の技術だと思ってて、そこは機転が利くようになりたいです。たとえば、お笑い芸人がライブで噛んで、ネタが飛んで、それを相方が回収するというとき、なんなら予定してたネタよりも崩れた方がおもしろいみたいなことってあるじゃないすか。あの回収って天才的ですよね。そういうとこに美学を感じるというか、できるだけ決めないで即興でやってめっちゃぶっ飛ぶみたいな、そういうのに憧れてるんですよ」。彼がエキサイトする瞬間は、撮影の現場というよりも、1人でパソコンに向かって作業をしている時間であり、大切にしているのはそのときにしか出会えない偶然。予定調和では生まれないものを追い求めた先に、人々の想像を超え、魅了するパワーが宿るのだ。すべてをコントロールできてしまってはおもしろくない。失敗を恐れず、アクシデントを楽しむ。ストリートに根差した彼のスタイルは、型にはまらないユーモアの感覚をもつことの大切さを我々に示してくれる。