LAUREN MANOOGIAN
Interview with Lauren Manoogian and Chris Fireoved
素材の意思をかたちに
素材は、時間の中にある。変わり続けるその性質は、あらかじめ定められたかたちに収まりきるものではない。それでも私たちは、完成された輪郭を先に思い描き、そこへと素材を当てはめてきた。しかし、〈LAUREN MANOOGIAN〉の制作を辿っていくと、その順序がほどけていく。かたちよりも先に、素材の時間が立ち上がる瞬間がある。
Text&Edit_Yuki Suzuka
Photo_Chris Mulhern
決める側と導かれる側
主役は、視線の行き先を決める。どこを見るべきかを、迷う余地なく示してくれる存在だ。しかし、何かが主役として立ち上がるとき、その背後には必ず脇役がいる。服づくりにおいて、その後者に置かれがちなもののひとつが素材だ。一般的に服づくりの工程では、デザインが決まり、シルエットが決まり、最後に素材が選ばれる。あるいは素材から出発したとしても、それはデザインを成立させるための素材として扱われてしまう。いつの間にか、素材は誰かの意図を実現するための手段になっている。素材とは、その価値を十分に引き受けられないまま、背後へと退いてきた存在でもある。クリス・ファイヤオブド「まずテキスタイルのスウォッチをつくって、その素材で何ができるかをもとにガーメントを作っていく。またあるときは逆で、コンセプトに合う完璧な素材を探していく」。それでもやはり、向かう先を決めているのはつくり手だ。スウォッチからはじめるにせよ、コンセプトからはじめるにせよ、どちらが先であっても、素材は導かれる側にある。そうした関係は、〈LAUREN MANOOGIAN〉の制作においても一見当てはまる。ローレン・マヌーギアン「コレクションをつくる過程では、常に多くのことが変わっていくから。創造のプロセスには柔軟に応答できなければいけない。いわゆるハッピーアクシデントが生まれて、新しい思考の方向性を示してくれるときだってあるの」。糸の状態ひとつで、落ち方や手触りが変わる。熱で縮み、引けば伸びる。彼らが扱う天然素材には、それぞれ固有の性質がある。同じように扱っても、決して同じ結果にはならない。そうした振る舞いを前にすると、つくり手が一方的にすべてを決めている、とは言い切れなくなる。むしろ、その反応を見極めながら、対話するように判断が重ねられていくからだ。ローレン・マヌーギアン「私たちの中心には、素材がある。常に素材にとってベストでありたい。素材がなりたいものを引き出したいと思っている。天然素材は時間をかけて、個性をもっていくように変化するから。使えば使うほど、その人の生活に馴染んでいく」。素材には、なりたいかたちがある。つくり手の仕事は、それを実現することだ。デザイナーのビジョンに素材が従うのではなく、素材の振る舞いにつくり手が応じていく。主役は、つくり手の意図ではなく、素材の意思によって引き出される。
Photo_Zander Taketomo
制約がひらく自由
偶然を必然に変える手
つくり手の意図を押しつけるのではなく、素材そのものを尊重する。素材が主役として見えてくる彼らの在り方は、一見すると理想的にも映る。しかし、尊重するということは、素材に全てを委ねることとは異なる。素材が自由に振る舞うための舞台を整えるには、つくり手による周到な準備が求められるからだ。この透け感は、どの糸の太さから生まれるのか。この色は、温度と時間をどう組み合わせれば再現できるのか。ハッピーアクシデントを、ただの偶然で終わらせず、確かな形へと変えていく力。ローレンには、服をつくるよりも先に、テキスタイルデザイナーとして素材そのものと徹底的に向き合ってきた時間がある。ローレン・マヌーギアン「ブランドをはじめる前、デザインが効率や機械の都合で、素材の良さを無視した形に書き換えられてしまうことに強い違和感を抱いていた。だからこそ私は、実際に糸を編み、その構造や限界を把握した上で、自分の知識とすり合わせていくようにしている。コレクションの大半は、ペルーで生産していて、職人たちは確かなスキルをもっているから。そこに自分たちのアイデアを取り入れて、ひとつの洋服をつくりあげている。地道なプロセスではあるんだけど、彼らをリスペクトしているからこそ、一緒に実現できるのだと思っている」。素材の性質を深く理解し、職人と同じ言語を共有できなければ、素材が本来の性質を現すための舞台はつくれない。この背景を知った時、私たちが手にしている一着の重みが、少しずつ変わりはじめる。ローレン・マヌーギアン「ペルーで生産できる素材は実は限られていて...。でも、さっきも言った通り、私はもともとテキスタイルを学んでいたし、何より彼らに対しても、素材に対しても、敬意がある。制限はあるんだけど、時にその制限が選び取るべき道を教えてくれることもある。創造的な仕事って、手もちの道具を知り、その一番いい使い方を見つけることだと思うから。選択肢が多すぎて迷うより、限られた素材の中で工夫するほうが、ずっとクリエイティブになれるって信じている」。制約が自由を生む、と言ってしまえば、単なるきれいごとのように聞こえるかもしれない。しかし、ローレンにとって、それは、素材と長く向き合ってきた時間から生まれた、実感に基づく答えだ。選択肢が無限にあれば、判断の基準はつくり手の好みへと傾いていく。しかし目の前に制限がある時、判断の基準は自ずと素材そのものへと移っていく。そしてその制限を可能性として読み解けるのは、素材の構造を知り、職人の手仕事と言語を共有しているからにほかならない。深く知っているからこそ、制限は壁ではなく、道になる。
Photo_Zander Taketomo
Photo_Zander Taketomo
ジャンルを超えた敬意
素材の声を聞き、そこから形を導き出す。その姿勢は、深い知識と長い時間の上に成り立っている。しかし、クリスの話を聞くと、その視点だけでは捉えきれない側面が見えてくる。スケーターである彼のバックグラウンドは、素材とも、職人の手仕事とも、縁遠い場所にある。それでも彼の実践が、この服づくりとどこかで重なっている気がしてならない。クリス・ファイヤオブド「スケートボードと人生のパラレルについては一日中話せるよ。でもスケートボードは、ノールールでしょ。本質的な原則は、誰にも指図されたくない、ということだと思う。何かをやりたければ、ゼロから自分で考え出さなければいけない。ルールはない、何が正しいか教えてくれる人もいない。スケーターのメンタリティの本質は常に、さて何をしようか、というような感覚にあるんだ」。 ボードを前に、次のトリックを考える。その感覚は、素材と対話するローレンの姿に重なって見えた。しかし、アウトプットとしての服はストリートの文脈とは遠い場所にある。その行き止まりのような違和感に対し、彼はこう語る。クリス・ファイヤオブド「スケートには服装などのわかりやすいイメージがあるけれど、個人のスタイルが、そのイメージからはるかに外れたスケーターだってたくさんいるんだ。それでも彼らは、自分たちをスケーターだと思っている。それと同じように、自分たちのようなブランドに惹かれる人だって、その人がスケーターであることに、何の矛盾もないでしょ」。クリスにとってのスケートボードも、ローレンにとっての素材も、手法や時間の流れ方こそ異なるが、目の前の対象に対してどこまでも誠実に応答しようとするその態度に、二人の境界線はない。その視点は、特定のジャンルさえも飛び越えて、ある対象への深い敬意へと向かっていく。クリス・ファイヤオブド「日本人がもっている忠誠心とディテールへの敬意に、僕たちも深く共鳴している。もし新しい素材を試して、それが機能しなかったとしても、そこから得た視点で、これまでやってきたことを新鮮な目で見られるようになると思っているから。そしてこの原則は、素材に限らないと思うんだ。人生の原則でもあるから」。新しいトリックをメイクできれば、それまでの滑り方も変わる。新しい素材を開発できれば、これまでの判断基準が揺らぐことがある。変化しているのは出来事そのものではなく、そこから何を引き出すかだ。それは素材の話であり、スケートの話であり、クリスの言葉を借りるなら、人生の話でもある。〈LAUREN MANOOGIAN〉の服が時間をかけてその人に馴染んでいくように、彼らの姿勢もまた、触れた人の中で静かに根付いていくものなのかもしれない。
2008年のブランド設立当初は、レザーや端材を用いたジュエリーと小物からスタートし、その後ペルーの職人との協働を通じてニットウエアへと展開を広げた。Photo_Yuto Kudo
ミズーリ州セントルイス出身のローレン・マヌーギアン(左)と、ペンシルベニア州フィラデルフィア出身のクリス・ファイヤオブド(右)は、2008年よりニューヨークを拠点とする同名のブランド〈LAUREN MANOOGIAN〉を共同で手がけている。クリエイティブディレクションとデザインにおいて共通のアプローチを持つ二人の制作は、一貫性を保ちながらも常に進化し続けるテキスタイルの表現に焦点を当てている。Photo_Zander Taketomo
