Stockholm (Surfboard) Club
コミュニティを表現する
ブランドではない“クラブ”
名前の通りスウェーデンの首都ストックホルムにて、サーフカルチャーに根づいた活動を行う〈ストックホルムサーフボードクラブ〉。2019年に立ち上げられたばかりだが、その洋服は洗練されたストリートの空気感を纏っている。有り体に言えば「センスが良い」と強く感じさせるのだが、そう思わせる背景にあるのは、ファッション、サーフ、アートというカルチャーとの距離感。そしてなにより“クラブ”と名付けられたコミュニティに集う人々との関係性が、独自の在り方を可能にしていく。
Photo Håkan Nyberg
Edit&Text Shuhei Kawada
〈ストックホルムサーフボードクラブ〉のデザイナーであり、設立者のマンネ・グラッドはオリジナルのサーフボードを削り出す、シェイパーとしての顔をもつ。カルチャーと密接につながっているのは、精神的な部分やインスピレーションに限らず、アウトプットからも見てとれる。
混ざり合う3つの要素
立ち上げ直後から、ドーバーストリートマーケットでの展開がはじまるなど、素性はあまり知られていないにもかかわらず、ひときわ存在感を放つ〈ストックホルムサーフボードクラブ〉。型数は多くないし、派手な装飾があるわけでもない。しかし心を掴まれてしまうなにかがある。その背景を探る上で欠かせないのが、この“クラブ”の設立者でもありクリエイティブを主に手がけるマンネ・グラッドだ。サーフボードを削り出す職人であるシェイパーとしてのキャリアがベースとなり、洋服のデザインなどを行う彼にとって、2つのクリエイションはどうリンクしているのか、はたまたどう結びついてきたのだろうか。「最近の仕事では明らかにサーフカルチャーからインスパイアされたものが多いのですが、私にとっての1番のインスピレーションは父親だと確信しているよ。彼はクリエイティブの天才ではなかったけれど、手を使ってよく作業していた。そんな姿を見て育った私は、時間をかけて努力をすれば基本的にはなんでもつくれるのだと気づいたんだ。大工として働きながらサーフボードをつくっていた頃、アクネストゥディオズのクリエイティブディレクターである、ジョニーと出会いブランドのデザインチームで働くことになった。そこで働いていた時も、サーフィンからのインスピレーションを仕事へと活かしていたね。同時にサーフボードをつくり続けていたし、2つの世界を繋ぎ合わせるというアイディアが、自然と今の形のようになっていった」。仕事をこなしながらライフワークにも近い感覚で取り組んでいたシェイピング。いまだに自身にとってのメインのアウトプットはサーフボードだと口にするが、ファッションの世界に飛び込んでから、その2つが結びつくのは必然的なことであった。この2つの要素同様に、洋服に落とし込まれるグラフィックや、サーフボードの形状からも垣間見られるアートへの興味もまた彼らのクリエイションを構成する要素として欠かせない。「3つの要素すべてに通じるのはクラフト、表現、物事の捉え方だと考えている。つくることの喜びや過程ということであれば3つの分野には共通点が多いと思うよ。物体としてのアウトプットは、それぞれの機能を見ても異なっているけれど、表現として各人によって解釈できる可能性があるんじゃないかな。私はコントラストが好きなんだ。すべてが興味深い側面をもつし、仕事における重要なインスピレーションともなる。物事を異なる視点で見つめるように、3つを繋いだ時には互いが利益をもたらすでしょう。」サーフ、ファッション、アートいったそれぞれ異なるカルチャーの表面にフォーカスするだけでなく、背後にある共通点や物事の考え方に目を向け、時には全体を見渡し、時にはグッと近づきながら、自分たちの表現へと活用していく。
彼らのスタジオにはマンネ自身が手がけたサーフボードや、ウェットスーツなども数多く並ぶ。アパレルだけでなく、実際にサーフィンをする際に用いるプロダクトを生み出している。
マンネ・グラッド(左)とアントン・エドバーグ(右)。アクネストゥディオズに在籍していた頃に出会い、ともに仕事をしていたという。マンネがクリエイティブ全般を手がけ、アントンがビジネス面を担当しているというが、実際にはお互いのセクションを跨いで行う仕事が多いそうだ。
適していないことの利点
〈ストックホルムサーフボードクラブ〉という名前は彼らに根づくカルチャーと同時に、ローカルを掲げているが、その意味合いを尋ねると興味深い答えが返ってきた。「ローカルで活動することの最大の意味合いは、バルト海※1がサーフィンに適していないという矛盾にある。本来サーフィンを楽しむためにも、仕事のためにも毎日波があった方が絶対にいい。製品をテストするという観点から見ても、この場所でクラブを運営するのは難しいんだ。でも波がないからこそ、他のことに集中する時間が生まれるんだ。これが現実だし、私たちはこの小さな世界の片隅から生み出されるものに誇りをもっているよ。ストックホルムを拠点にしたのは、あえてそう選択したというよりは、ここが出身でここに住んでいて、ここでサーフィンしているから、自然な流れだった。ストックホルムはスウェーデンの首都だけど、小さな都市なんだ。小さな町のような人との出会いがあるのと同時にスカンディナビアの文化のハブでもあり、水の都でもある。自然と近いところにいながら都会の文化を手に入れることができるんだ」。地名を冠したブランド名などには、その土地の良さを掲げ、打ち出し代表していくという姿勢がよく見られる。〈ストックホルムサーフボードクラブ〉は、自分たちの属するローカルを積極的に打ち出すという方法は取らず、ただ根ざしている場所として、気負いなく冠したということだろう。また一般的にサーフシーンのイメージがない場所であり、そもそもサーフィンに適していない土地柄というのも新鮮な印象を与えてくれる。制約や制限、ましてや自然を相手にしたものであるからこそ逆らうのではなく、その範囲で楽しみながらクリエイションと両立していく。しかし意外にも彼らがローカルの良さをより意識するようになったのは、パンデミックによって移動を制限された後だった。「スウェーデンのサーファーとして、パンデミックは興味深い時間だったよ。いつもは波に乗るためにたくさんの旅をするんだけど、今年はバルト海に囲まれたこの地に留まっていた。世界中を飛び回る習慣をたちきり、地元に留まるという視点を得られたのは良かった。今まで気づかなかったスウェーデンの良さを知ることができた。今までとは時間の流れが異なっているから、常に目新しいことを探していてもそれほど意味がないんじゃないかな」。彼らが〈ストックホルムサーフボードクラブ〉を創設してまもなく、世界中を襲ったパンデミックはあらゆる不自由や恐怖を与えたと同時に、図らずも近くの物事に目を向けるきっかけとなった。
※1 スウェーデンの位置するスカンディナビア半島などに面した海。波もあまり立たない比較的穏やかな海として知られる。
実際にサーフィンをするマンネ。「スウェーデンというサーフィンにあまり適していない環境で、できないってなるとついつい夢中になってしまう。中毒みたいなものだね」。決して恵まれた環境下ではないことが、より強く引きつけられる所以でもあるのだ。
〈ストックホルムサーフボードクラブ〉を形成するのはなによりもそこに集う人々。コミュニティとして、近い興味をもつ多様な人々が影響し合いクリエイションにも刺激を与えてくれる。「クラブを活性化させるために、近いうちにアートショーやライブ、サーフィンのイベントなどをしたい」とマンネは語る。
多様なキャラクターが
広げるアイディア
先に述べてきたカルチャーとの結びつき、ローカルの重要性、そこから発信する意味合い。しかしこれだけでは肝心な〈ストックホルムサーフボードクラブ〉の核となる部分を欠いてしまう。彼らにとってなにより大事なのはブランドではない“クラブ”としての在り方であり、そのコミュニティに属する人々の存在なのだ。「“クラブ”という言葉はブランドという形式に縛られないスタンスや、コミュニティとしての在り方を伝えているように感じていた。コミュニティとしてのクラブ、サーフボードとシェイピングスタジオという私たちの活動を表現した名前で、自分たちをブランドとして見たくはなかったんだ」。あえてブランドという言い方をせずに、“クラブ”と呼ぶのはこうした理由からだった。彼らの興味は多岐にわたり、そのアウトプットも幅広いからこそ、ブランドと定義して自分たちの可能性を狭めてしまうことを避けているとも受け取れる。「“クラブ”ではいつも、アイディアが湧き、プロジェクトが発展し、“クラブ”がより面白くなっていくためにも、コミュニティと関わることを目標にしているよ。全員が異なるバックグラウンドをもち、世界の見方もさまざま。スウェーデンのサーフコミュニティには多様なキャラクターがいるんだ。アーティスト、美容師、サーフボードをつくっている人もいれば、大工もいるし経営者もいる。あらゆる仕事をしている人がいて、経験と知識を共有できる点にコミュニティの強みがあると言えるだろう。そしてこうした異なる背景や人生観をもつ人々が出会うことで、アイディアを広げるエネルギーが生まれるし、それこそが繋がりだと考えている。たとえ壮大なプロジェクトに結びつかなくても、もしかしたら気持ちが楽になるかもしれないし、そうだとすればコミュニティとしてはある意味成功したことになるよ」。遊び仲間であり仕事仲間。一度は憧れてしまうそんな関係性が、〈ストックホルムサーフボードクラブ〉の根底には存在している。コミュニティに属するメンバー同士が、互いをリスペクトをしながら、手を貸し合う。コミュニティの本来の在り方を純粋に示しているようにも思えるが、その純粋さやムードは馴れ合いからは生まれないもので、属する各人のインディペンデントな姿勢によって担保されているのだろう。損得勘定でもなく、ビジネスライクでもなく、身近な仲間と生み出されるクリエイションは遠い北欧の地から、世界に向けて波音を立てて広がっていく。