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Richardson Richardson

CULTURE, INTERVIEW 2022.6.20

Richardson

Interview with Andrew Richardson

人生を編集する

セックスカルチャーや政治、アートなど多様な切り口で発信を続ける〈リチャードソン マガジン〉の創設者であり、同じく自身の名を冠したブランド、〈リチャードソン〉を手がける、アンドリュー・リチャードソン。5月下旬フォトグラファーのデイビッド・シムズとのコレクションのローンチに際して来日していたアンドリューが切り取る東京の風景を、彼の人生観とも言える部分が垣間見えたインタビューと合わせてお届けする。

Photo_Andrew Richardson, Haruki Matsui(Portrait)
Edit&Text_Shuhei Kawada

正しい時に
正しい場所に

 前回の来日から2年以上を経て、久々に訪れた東京について、アンドリューは感慨深げに口を開いた。「ここに戻って来れて嬉しいよ。東京にくるのはいつも楽しいし、友達も、会いたい人もたくさんいる。1990年にはじめてきてから32年になるけれど、昔からの付き合いも続いていて、自分のことをよく理解してくれているし、良い関係を築けている。言い換えれば、東京が自分たちのことを愛してくれているとも受け取れるね」。

滞在中は昨年オープンした、W-TAPSの新たなコンセプトショップを訪れたり、相撲を観戦したり、精進料理を嗜んだりと、タイトなスケジュールでも東京を満喫できたようだ。

雑誌をはじめたきっかけも、洋服を通じたコラボレーションも、東京で出会った仲間やカルチャーからの刺激が重要な役割を果たしていた。同様に彼の仲間という視点で考えると、その周りには常にパワーがある人々が大勢いる。雑誌に登場する人、ブランドの洋服を身に纏う人、写真家などのクリエイターの数々だ。「別にそういう有名な人々が好きというわけではないよ。自分は30年以上もの間、雑誌のパブリッシャー、もしくはスタイリストとして、フォトグラファーたちと一緒にやってきた。90年代にスタイリストとして働いていた時、デイビッド・シムズもそうだけど、マリオ・ソレンティも、テリー・リチャードソンもみんな友達だったんだ。仕事をしているだけだったら、今もこうして一緒にできていないかもしれない。とてもパーソナルに、個人的な繋がりがあるんだよ。90年代の雑誌のエディトリアルで、パーソナルな自己表現をしたり、アイディアを打ち出してきた。ただ単に自分が若い頃、正しい場所に、正しいタイミングでいたってことかな。クリエイティブでありたいから、面白いことを一緒にやって、良い関係性を築いてきた」。今回の来日のきっかけとなった、デイビッド・シムズとの関係にも言及しながら、そう語ってくれた。彼はシンプルに“正しい時に、正しい場所に”いただけだと言うが、面白いと思うことを追求する、ハングリーな精神が、その“正しい場所”に彼らを導いていたのだろう。「〈リチャードソン〉では、雑誌でもブランドでも、みんなお金のためではなく、友情や自己表現のためにやってくれるから面白いんだ。確かに彼らと仕事をするにはお金がかかるけど、お金がどうこうって話じゃない。ブランドとしても、雑誌としても個人的な作品をつくるための機会を与えているんだよ。自分が理解できて関係性を築ける、もしくはアイディアを共有できる人たちが、そのアイディアに反応して素晴らしいイメージを共有してくれる。90年代にやっていた頃の感覚を反映して、今なお続けているんだ。だからこそ最近のファッション写真は、広告に支配されていて、カタログみたいに見えることもある。かわいい女の子やかっこいい男の子が、いい感じの洋服を着ているって言うのはイケてない。カッコ良すぎてイケてないんだよ。自分の場合はおもしろくて、パーソナルなものを求めているんだ」。

アーティストの空山基氏のアトリエを訪問した際の様子。ブランドでもコラボレーションをするなど、兼ねてから親交がある。

快適なところから
連れ出してくれるもの

 90年代当初より、一貫して自分がやりたいことに忠実に動き続けてきたアンドリュー。言葉にすれば単純で聞こえはいいが、その姿勢を貫くためには多くの障壁が存在することは言うまでもないだろう。では一体何がそこまで彼を駆り立てるのだろうか。「“美しい”ということに常にインスパイアされるかな。“美しい”というのは、かわいいとかそういう意味合いだけではなくて、自分の世界に入り込んでくるものというか。衝撃的で醜いものであっても、美しさを感じることもある。要するに自分の快適なゾーンから押し出してくれるような要素があるもの。パーソナルなコンフォートゾーンを拡張して、異なる物事へと招いてくれるものが、自分をインスパイアするのかもしれないね。自分は編集者でもあるから、常に自分の人生を編集しているような感じかな。面白いことはないか、自分にとってのチャンスはないかっていつも探しているんだ。とても自己中心的な個人的な旅だね。そして人間というのがそういう要素のうちのひとつかもしれない。幼い頃、自分は学校に全然行ってなかったし、決して良い生徒ではなかったけど、ずっと人間に興味があったし、その人たちが何に興味をもっているかとか、自分をバイブレートしてくれるものが気になっていた。自分はカササギみたいなもので、異なる物事を見つけては、もち帰る。いつも何か新たな発見があれば一緒に仕事をする人たちのもとへもっていくというプロセスを踏んでいる。ただし、それは計算してやっていることではなく、運や機会や人々との出会いによるものだね」。時代が変化していっても、カルチャーやファッションを取り巻く環境が目まぐるしく変わっていこうとも、アンドリューにとっては、表現したいことを表現するというシンプルなスタンスであることに変わりはない。彼が洋服同様に、雑誌という紙媒体をつくり続ける理由も、そんなシンプルな考え方によるものだ。「自分にとっては、雑誌というものが、アートや情報のコミュニケーションというクリエイティブなプロジェクトだと考えている。インターネット以前は、イケてるものや面白いものを見つけるためにどこにいけばいいかということや、どのバンドがどういう曲を演奏しているかを知ることができたけど、そうした文化的な情報はインターネットに取って代わられた。自分がつくる雑誌は、もっとパーソナルで自分自身や一緒に仕事をする人々が感じているアイディアを反映したものなんだ。だから1998年に創刊した時から考え方は変わっていないし、ずっと同じアイディアであって何も変える必要がない。この時代に雑誌を出版する人々は、なぜそれをやるのかということと、そのゴールがどこにあるのかっていうことに対して、それぞれの考え方をもたなくてはならないと思うよ」。表現をする側にとっても、それを受け取る側にとっても、選択肢や手段は日々増え続けているように思えると同時に、同じようなプラットフォームで、似たような表現を目にすることも多い気がしてしまう。自由と見せかけた画一化から脱するには、今なにが流行っているかではなく、純粋に自分がなにを知りたい、もしくは表現したいということに目を向ける必要があるのではないだろうか。〈リチャードソン〉と〈リチャードソン マガジン〉は、アンドリューによるピュアな好奇心と実践によって、明確なスタイルを提示してくれている。

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