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If You Know<br>You Know If You Know<br>You Know

CULTURE, FASHION, INTERVIEW 2022.4.29

If You Know
You Know

Vol.1 Culturesport.tv

若手やブレイク前の才能あるアーティスト、ブランドをいち早く日本のシーンでフックアップし続ける〈ドミサイル〉。彼らならではの繋がりや関係性が、数々の才能を発掘するベースになっている。そんな〈ドミサイル〉だからこそ可能なアーティスト、ブランドにフォーカスした連載『If You Know You Know』がスタート。NYに拠点を置いている、〈ドミサイル〉のディレクターShin Nishigakiと、アーティストとの対談でその魅力を深掘り。記念すべき第1弾は3DアニメーションやMV制作などで独自の世界観を形成する〈Culturesport.tv〉。サイバーパンクの匂いを感じさせる彼らの動きに迫る。

Interview Shin Nishigaki
Edit Shuhei Kawada

初回は3Dプロダクションスタジオ〈Culturesport.
tv〉の創立者であるJohn Michael Bolingにインタビューをしたいと思います。

Shin(以下S):まずは名前と何をしている人か読者に教えて貰えますか?

John(以下J):John Michael Boling。
〈Culturesport.tv〉のクリエイターをしてます。

S :バックグラウンドについて少し教えて頂けますか?当初はインターネットアーティストとして活動していてARE.NAを設立。その後〈Culturesport.tv〉という流れだと認識しているのですが?

J:そうです。アートスクールに通ってた2000年代のはじめに、インターネットアートの制作をはじめました。2005年くらいにgoogle.comの”O”が2個ではなくて、53個のgoooーooogle.comのドメインを買ったんだ。(当時GmailやGoogle Earthを発表した直後Google本社とハッカーやインターネットアーティストがGooogle.comなどアルファベットのOをどんどん長くしたドメインをこぞって取り合うという現象が起きて、ジョンは53個Oのドメインを取得し使用していた。)その後2、3年くらいインターネット周りの作品に携わってインターネットアーティストとして活動してました。Nasty Netsというインターネットコミュニティに属して、ジャンルを超えたさまざまな活動に携わりました。そして人々やクルーがファインアートなどのジャンルを継続した結果、だんだんと今僕たちがやっているようなPost Internet Artと呼ばれるようなことが生み出され、そういったことに関わりはじめた。だから僕はポストインターネットの初期の時代を経験したんだ。僕がつくっていたのは、ウェブサイトやショートビデオなどだったんだけど、ある時点で、スタジオにずっといることに居心地が悪くなってしまったんだ。だからNew MusuemのRhizomeで働きはじめた。その当時彼らは非営利で新しいメディアやインターネットアートをサポートするコミュニティだった。ウェブサイトのエディターとして働きはじめ、基本的にはおもしろいことや興味があることを紹介したりブログのキューレーションをしたり、その一方でアートワークを手がけたりしていた。

 数年間、僕のコミュニティの人々はDeliciousというソーシャルネットワークのウェブサイトで交流してて、それが実際お金が発生した最初のものだった。シンプルなものだったけど、その当時はじめてフィードのあるウェブ上のSNSで、腕のあるインターネットアーティストはDelicious上でこぞって作品をリリースしていたんだ。アーティストは自分たちの作品を載せて、人々がリポストやリブログしていた。だから、Rhizomeではキューレーションみたいなことをいっぱいしていたよ。数年はそういうことをしてて、自分の作品はつくっていなかった。そしてそのDeliciousをyahooが買い取ったんだ。全てのものは、yahooが買ってダメにするだろ?(笑)。 僕たちのコミュニティがもっていたものをほとんど全てそのウェブサイトを通してやっていたから、今後何ができるかを考えたんだ。そしてARE.NAの最初のアイディアを考えついて、数年後、別のアイディアを収集して知識を構築するような何か面白いことがしたいと言ってきた投資家と一緒に働くようになったんだ。そしてチームを結成して、ARE.NAを創設した。メンバーはアーティストばかりではなかったけど、プログラミングができたりとても賢い人たちだった。そこから2~3年間はARE.NAを構築することに取り組んでたけど、でも6年間くらい全くスタジオワークもつくっていなくて、作品をつくることが恋しくなっちゃったんだ。

 だからARE.NAを去って、その後6ヶ月は僕の全てのフォーカスとエネルギーをオープンソースの3DソフトウェアであるBLENDERを学ぶことに注力した。何をするのか、どうなるのかも考えていなかったけど、オープンソースの3Dソフトウェアはずっと学びたかったことだったから毎日、チュートリアルを見てソフトウエアを学んだり、同時にビデオをもう一度つくるようにもなった。Oneohtrix Point Neverというアーティストのビデオをつくったりした。Boring AngelというMVは、絵文字をカットして脳で処理出来ないスピードでつなぎ合わせるっていうコンセプトだったんだけど、みんなこのビデオをすごく気に入ってくれたんだ。それが数年ぶりに出したアートワークだった。そして僕の中でも、「OK、これだ」っていう感覚があった。世界に自分の作品を打ち出すことが恋しかったし、自分がMVをつくれることはわかってたから、もっと大きなプロジェクトをしたいと思いはじめたんだ。僕はティーンエイジャーのとき、映画のディレクターになりたかった。最初はフィルムスクールにいったんだけど全く面白くなくて。その後アートスクールでもっと多くのことを学んでいた時も、ずっと心のどこかでその夢は消えることはなかった。OPNのMVを出してから、Aurthur Russell x The MuppetにもMVを提供した。MVをつくるのも好きだったし、フォームも好きだったんだけど、自分の力以上の何かに挑みたかったんだ。フィルムスクールにいた若い頃はいつも、「これは映画にいいアイディアだ、これはTVショーにいい、これはショートムービーにいいぞ」っていう感じでリストに書き留めてたんだ。だから僕のアイディアがそのリストに全てのっていた。

 その中でA.I.のChat botが感情を芽生えさせティーンエイジャーのハッカーたちを従え、彼の生き残りをかけて戦うという構想があったんだけど、僕のやりたかったことはクレイジーなことばかりに思えたし、同時にBLENDERも学んでいた。ARE.NAを通じて、たくさんのクールなアニメのチャンネルがあった。幼い頃、アメリカではアニメを見て育つ。僕がティーンエイジャーのときは、cowboy bepopとかエヴァぐらいしか見れなかったけどリサーチしているうちにアニメがどんなに経済効果をもたらすか、どれだけ小さな積み上げから大きなことができるかに感銘を受けた。感情や自己表現をするためにピクサーのような大規模なことは必要ないんだ。だからこのアイディアを、BLENDERの創立者に相談した。そして彼が、「OK、僕にこのアイディアを実行するために1ヶ月くれ」と言ってきたんだ。そして1カ月後、ベーシックなCulturesport.tvの姿ができたんだ。

S:BLENDERは他のプログラムとどういうところが違ったの?

J:他の3Dプログラムは、何千ドルもコストがかかって使う人も過剰評価されていて、なんかダサかった。BLENDERは世界規模なオープンソースの3Dプロジェクトで、コントリビューターは世界中にいて個人的、かつ革新的ですごいインディペンデントなものだったんだ。当初モードレスネスっていうコンセプトは自分がプログラムを使用して、モデリングする際に便利で他のプログラムにはない機能だったんだ。しかもオープンソースコミュニティだから、ハッキングもできるしやれることの範囲が広い。暇を持て余した田舎の父親プログラマーや12歳のオタクプログラマーなどがこぞってハッキングし独特なプログラムを作成しては共有していったんだ。僕は90年代、Photoshopの全てのバーションの海賊版を使っていた。まあそれは故意に公開されていて結果的に、当時12歳だった僕らが海賊版を使いまくって更新していき、その後業界的にはスタンダードバージョンのソフトウエアとしてリリースされるということになった。他のプログラムもいいものもたくさんあったけど、意味がわからないくらい高価で学ぶのも難しくて、BLENDERはどちらにも当てはまらない。人々が最初見たときに、アマチュアのサイトだなと思うようなものであったかもしれないけど、今や12年経って、世界中のオタク達が共同で更新し続け、よりプロフェッショナルスタイルのレベルまで上げていったんだ。まだ業界のスタンダードにはなれていないけど、誰かが昔そういったように、僕もそれを信じているんだ。加えて彼らの、コミュニティもイケてるんだ。BLENDERをつくった人も、アムステルダムに住んでいるけど、それでお金を稼いでいるのではなくて、使いたい人が誰でも使えてコミュニティをサポートできるようにしたいというコンセプトに賛同した感じかな。

S:アムスにいたBLENDERのファウンダーとの繋がりによって、オランダとのアートプロジェクトのRotterdam1995に参加することになったの?

J:いや、それは実は全然違うところからなんだ。僕の友達のインターネットアーティストがいて、彼はオランダの血が入ってて、Showroom Mamaというギャラリーで、Culturesport.tv Projectのことをキュレーターか誰かに話したんだ。そして彼女が僕のことを知って、「ねえ、私たちのロッテルダムにあるスペースでギャラリーショーをやってみない?」って聞いてきたんだ。僕はそれまでロッテルダムという都市のことを聞いたことすらなかったからあんまりそのことについて知らなかった。ただCulturesport.tvは一つのカテゴリーに属さないCSという傘下においてファッションの世界にも、アートの世界にも、映画の世界にも広告の世界にもなりうると考えて、もっと幅広く活動したいと思っていた頃だった。カルチャーの中のどのスタイルにも多種多様に表現としてアウトプットできるということだと思ったんだ。

 彼女がショーのことを説得してきて、僕は「どうしようかな、わからないな」と言ってたんだけど、オランダが当時アートに力を入れていることも知っていたし、ちょうどのアート業界の古いルーティーンやイメージを印刷したりする伝統的なギャラリーのスタイルにも飽きてきていて、「一度、時代、土地特有の物語を振り返ってCulturesport.tvのポートフォリオをRotterdamでやってみてはどうだろうか」と提案したんだ。

 そしてオランダを起源としたハードコアテクノであるGABBERミュージックのリサーチなどをはじめたんだ。すごく興味深いカルチャーで、Rotterdamのキッズはたくさんのドラッグとハウスミュージックに溺れていた。基本的には、フォークステップの伝統的なダンスをしているんだけど、ラリってるような感じだよ。みんな夜通し踊り倒すから機能的な理由でナイキのair maxとかを履いてたのが、結果的にファッションになったんだ。90年代初頭、ミュージックシーンが最高に盛り上がっていたんだけど、音楽も好きだし、GABBERカルチャーなどを通してRotterdam1995と共通の話題が生まれたんだ。だからアイディアを膨らませて、「悪者はどんなキャラクターにしよう。彼が1995年には何をしていただろう」。と考えてストーリーが生まれたんだ。ネット上のAIのチャットボットに自我が芽生えハッカーのティーネイジャー達をレジスタンスに従え、ともに世界征服を目論むという物語だ。Showroom Mamaや友人を通じてその当時のリアルなシーンにいた当時のファッションや音楽シーンで実際に活躍してた、DJやダンスクルーやスタイリストなどの人々にリーチしていったんだ。当時公園の中にあったPARKZICHTっていうクラブがあって、今はおしゃれなレストランだけど、その頃はハードなレイブテクノのクラブだったんだ。だから、Rotterdam1995に「このストーリーはGABBERシーンにフォーカスをあてて、このクラブを中心にするべきだ」と言った。僕らは当時の写真や動画を見たり、話を聞いて外観から内装まで完全にそのクラブを再現したんだ。そして当時のダンスに詳しいコレオグラファーのところに行った。そしてshowroom Mamaが、RTC(Rotterdam Terror Corps)っていうその当時のGABBERチームで一番大きなグループでそのクラブでプレイしていた人たちに繋いでくれた。彼らはすごくクールな人で、RTCでDJしたりカルチャープロモーター的な存在だったんだけど、彼らにプロジェクトのアイディアのことを話したらいろんなところに連れ回してくれた。そのクルーの中のDJ Distortionにプロジェクトの話をしたら凄く共感してもらって相談していたら、キャラクター達の声とかさまざまなサンプルを送った上で完全に当時のスタイルでオリジナル曲を書き下ろしてくれて、あのクラブのシーンは完全に当時を再現出来たんだ。当時の訛りから言い回しなどの脚本も現地のアーティストに頼んで限りなく表現出来る様に細かい点まで詰めていったんだ。オープニングではVRゴーグルを使って再現したクラブを体感してもらって、みんな当時を思い出したと喜んでいたよ。

 Showroom Mamaとのプロジェクトは大成功して、そこから次のストーリーを手掛けようと予算を捻出したり資源が続かなかったから、そこから外部のクライアントとコラボレーションをしたり、クライアントワークにCulturesport.tvのキャラクターをブランドに施したりしたんだ。数ヶ月間チームでクライアントワークをしてお金を貰いながら技術を向上させて僕らのスタイルがどんどん改善されていった。そして、それをRotterdam1995をより良いものにするという繰り返しを続けていた。

S:その当時どんなクライアントと一緒に仕事をしてたの?

J:はじめてのクライアントは、TELFERだった。2015年にTELFERのクリエイティブディレクターと僕は何人かの共通の友達がいて、彼は僕らの活動をインスタで見てて「hey,僕らはこういうブランドをやってて今回SS のランウェイがあるんだけど、何か一緒にやらない?」って声をかけてきたんだ。数ヶ月に渡ってアイディアを練った。その当時TELFERはNYのクールなお馴染みのブランドだったけどCSTVの世界観の中ではTelfarはGAPぐらいのメガブランドという設定にして僕らが彼らとやったことは基本的にはフィクショナルADをつくることだった。そこでパノラマのステージにCSTVのスタイルで作ったモデル達、これはデザイナーのTelfarをさまざまな角度で撮影して3Dの基本キャラクターをつくって性別や体の大きさ、多様な肌の色などのパターンを45種にして、そのキャラクター達を使って大企業っぽい広告を表現したんだ。

S : 当時パロディー的なノリで作ったコンセプトが実際に今ではTELFARはメガブランドになりつつあるから面白いね。

J:そうなんだ。素晴らしくも面白いことは、当時笑いながらやってたことが実際にレイトナイトショーで特集されたり、TIMES のカバーを飾ったり、さまざまな媒体でインタビューされたり、地下鉄の広告になったりすることを想像してアニメにしていたことが、今や現実になっているってことだ。ついこの間も彼らから本当にTimesマガジンの表紙になった写真が送られれてきて皆で大爆笑したんだ。だから、TELFERとのコラボが僕らにとって1番大きかったかもしれない。それからMACコスメティック、KENZOやNIKE、LQQKとVANSのビデオやったり、長く関係性が続いてるブランドとしてSUPREMEがある。Tシャツやスケートボードのデザインなどをたくさんしたよ。

S:制作過程でワンシーンでしか登場しないクラブや音楽、訛りや喋り方に至るまで、多くのことを作品内で再構築してたり細かいディテールに対しての狂気的なこだわりを感じますが、フィクショナルなインターフェイスや音楽のハードウエアなど、日本のカルチャーからの影響も多く感じられるけど。どんなカルチャーから影響を受けたの?

J:多くのものは、サイエンスフィクション、小説、映画から影響を受けているよ。スタイルのベースは、90年代半ばのコンピューターカルチャーからメインで影響を受けているよ。僕はとても若い頃にコンピューターを手に入れたんだ。その頃はじめて人々はモデムに接続してインターネットというプラットフォームにアクセスしはじめた時だったから、当時6歳ではじめてパソコンというものを手に入れたのが1994年で、11歳のときにははじめて自分のウェブサイトをつくった。当時出ていた手に入らないハードウェアなどにものすごく興味があったんだ。

 あとは、僕はアートスクールに通って、大きなミュージックシーンにも触れた。友達にはミュージシャンが多かったんだ。みんなそんなにお金もなかったし、その当時はギターもすごく高価だった。安かったのは、中古のCasioのキーボードやドラムやシンセサイザーだったりした。僕はそういう楽器が集まった家にずっと溜まってて、めちゃくちゃイケてる日本のミュージックテクノロジーに触れることができたんだ。

S:皆がYAMAHAのD7を持ってた時代だね。

J:まさに。その時に、コンピュータースタイルとはどういうもので、デザインや機能性のこだわりなどについて学んだ。それから、80's~90’sの日本のアニメから現実的かつ未来を想像したインターフェイス、実際のコンピュータやOSの発展型や改造品が多く登場していてそれらに凄く影響を受けCulturesport.tvの総体的な見た目について影響を受けた。仕事を通してもずっとインターフェースやソフトウエアの周りにいたけど、もともと無意識に自分が好きだったんだと思う。

S:因みに今製作中のストーリーはどんな話か教えてもらえる?

J:シーズン1はまだ制作もしてないんだけど、天才ハッカーKIRANという少女がつくり上げたチャットbotのMikeyに自我が芽生え、ハッカーのティーンエイジャー達をレジスタンスに従えて、ともに世界を牛耳ろうと目論むという数百年にも渡る時系列のストーリー。シリーズの中でもキーマンで敵対役であるPETER YOSTと後にKIRANの仲間になる助手のDianeが出てくる。 YOSTは億万長者で、グローバルインターネットであるY NETの創設者も登場する。世界規模の大企業が巨万の富を得たきっかけとなった研究の凶悪な真実、人体実験がエピソードゼロになる。この事件をきっかけにメインのシリーズの物語では大企業になったYOSTが後にKIRANとMIKEYと対立する内容に繋がっていくから、Rotterdam1995との架け橋になるような感じだよ。次回作は時代的には2007年で場所はNYに切り替わっていくよ。

S:最後にドミサイルで販売されるマーチャンダイズについて教えて。

J:うん、限定品で、基本的には僕らがつくったエピソードやキャンペーンに沿ったものなんだ。ひとつひとつがエピソードと繋がっているんだ。だからどのアイテムもCulturesport.tvのユニバースの中にあるってこと。現実世界を歩き回っていたら、さまざまなブランドロゴが存在することをたまに忘れてしまうことがある。それらに慣れ過ぎててしまうんだ。Culturesport.tvは、仮想世界であってこの仮想世界のブランドをプリントしたものをリアルな世界にもってきたらどうなるかなと。大企業YOSTのロゴTEEは現実世界のマイクロソフトのロゴTEEであってカエルのグラフィックTEEはOSARIという想像上の総合電気メーカーの広告。Culturesport.tv バージョンのSonyやCasioみたいなことで。全てロゴから企業方針など細かい設定までしてあるんだ。その設定をCulturesport.tvを通じてリアルなワールドにもってくるのが面白いと思ったんだ。

S:プリントはLQQKSTUDIOにお願いしたけど、凄く良い仕上がりだね。
プリント工程が多いグラフィックなのに数量限定しすぎてALEXに苦笑いされたほど
少数限定なので(笑)是非皆さんお早めのお買い求めお願いします。

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