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A Travelogue:<br>From the Cybernetic Odyssey<br>by Theophilos Constantinou A Travelogue:<br>From the Cybernetic Odyssey<br>by Theophilos Constantinou

CULTURE 2021.6.4

A Travelogue:
From the Cybernetic Odyssey
by Theophilos Constantinou

「The road will guide you(路上が導いてくれる)」。答えのない答えを求めるようにこれまで幾度となく旅に出てきた、出版レーベル〈パラダイム・パブリッシング〉を主宰するセオフィロス・コンスタンティノウ。出版人、写真家・映像作家である以前に自分は旅人だと言う彼が、旅で出会った人や景色、出来事、感じたことを綴る回想録連載「A Travelogue: From the CyberneticOdyssey」。第2回は自身を写真家だと信じるきっかけになったキューバへの旅。独自ルートで辿り着いた、時代が止まった楽園で理想と現実について思いを馳せる。

Photo / Text Theophilos Constantinou
Translation Shimpei Nakagawa
Edit Shuhei Kawada

滞在中は毎日ひたすら街を歩き回っていたと語るセオ。アウトサイダーとして街に溶け込み、目の前で起こる瞬間を切り取った写真からは、楽園がもつ幻想の中にある目を背けられない現実が垣間見える。(写真左)あらかじめ決められていたかのようなこちらの情景は、ジョン・ドミンゲスの親戚が住む村の目の前にあるプラヤ・デ・ジャイマニタスというビーチにある突堤でたまたま出くわしたもの。少年が背を向ける海の向こう側にはマイアミがあり、「自由の国とされるアメリカに背を向けて村を見つめるその姿は社会主義に囚われたこの国の人々を象徴するように感じる」という1枚。

キューバへの旅はあらゆることにおいて人生を変える出来事だったといえる。その中でも君たちが今ここで目にしている写真は僕がアナログ写真を表現方法として探求しはじめた時に撮ったもので、自分自身は写真家だと信じられるきっかけになった写真だ。フィルムで撮りはじめた頃はカラー写真ばかりを撮っていて、モノクロ写真を撮るようになったのはインドやヒマラヤなどを6ヶ月間旅してその写真をまとめた初の写真集『We Passengers』を出版して以降のことだ。今後はまたモノクロ写真が並ぶことになるけど、今回だけは自分が写真を本気でやるきっかけになったカラー写真の存在を知ってほしかった。キューバへの旅の主な目的は、僕と同じくオハイオ州アクロン出身のペインター、ジョン・ドミンゲスにパラダイム初の出版物『GENESIS - Volume Ⅰ』に向けたインタビューをするため。彼にとってキューバで時間を過ごすのは当然のことのようだったけど、それまで僕がキューバについて知っていたのは、コンガ奏者のチャノ・ポソや「El Duque」の愛称で知られる野球選手オーランド・ヘルナンデス、それからピッグス湾事件くらいだった。ただその後社会学者のライト・ミルズの著書『Listen, Yankee: The Revolution in Cuba』を読んで、1959年1月1日のキューバ革命以降の市民のリアルな生活や革命精神などに触れることでキューバに対する見方は大きく変わった。これらの写真は西洋文化が手付かずで、名前が語られることのない“あの男”に今でも支配されている、僕がこの目で見たキューバだ。そして、たとえ革命家だろうが農家、黒人、白人、子供、政治家だろうが、“みんな人間”だという当たり前の事実がそこには広がっていた。開いていない国境はない。いつもどこかに開かれたドアがある。フィラデルフィアのコーヒーショップで働いてた時のお客さんに、マイアミからキューバへの入国ビザに繋がりのある人物がいた。アメリカ人でキューバへの入国を許されるのは宗教ないしは教育、家族に関することで同国に入国が必要と見なされた者だけで、プラグをもつその人物はドミンゲスに家族関連のビザ、僕には教育関連のビザ取得の段取りをつけてくれた。繋がりと幾ばくかの現金さえあれば、不可能なことはない。こうしてキューバへの旅は現実となった。所々色が欠けた鮮やかな色のシボレー社のHeavy Chevyに、その時代に閉じ込められたように大量生産・大量消費社会が生み出した大衆文化をつゆ疑わず享受するハッピーな人たち。時間は僕の両親が子供だった頃にワープしたようだ。時は2013年というのに、今はキューバ革命後から間もない頃かと錯覚を覚える。ジュークボックスにかかるチャノ・ポソ。キューバップの産みの親と呼ぶにはふさわしい。砂漠のど真ん中で干からびたトカゲのような気分を、ハリウッド・シガレッツとハバナ・クラブで和らげる。キューバの生活に馴染むにつれて、アメリカの記憶は色褪せはじめた。チェ・ゲバラのミューラルを脇目に、豆料理をキューバンビールのクリスタルで流し込む。もはや人生そのものがまるで遠い記憶のように思えてきた。路上は僕のホームで、そこで出くわす人や景色は心の中にある空虚な部分を埋めてくれる。一斤のパンと温かい食事さえままならない人たちにすれば、目の前にあるラグジュアリーなビーチは単なる幻想に過ぎない。ここは僕たちのような“Touristas(旅行客)”にとっては楽園であっても、多くの地元民にとってはダンテの『神曲』地獄編のような世界かもしれない。

首都ハバナの路上は幼い子供に、ポン引き、ヤクの売人、娼婦やアーティストで溢れかえっていた。20マイルにも満たないスピードで所々にある大きな窪みをすり抜けながら、海岸沿いにあるマレコン通りを流す。水平線というのは本当の自由をもたらしてくれるね、とへミングウェイに語りかけてみる。時に野良犬の方が人間より腹を満たすここカリブ海では人生がゆっくり流れる。まるで80年代のNYの地下鉄を思わせるほど、この国には至る場所に社会主義プロパガンダのグラフィティーがある。「社会主義の繁栄と存続のための革命、社会主義、死、万歳!(Viva laRevolución, Socialismo O Muerte, Porun Socialismo Próspero y Sostenible)」。我々はみんないずれにせよ政府に抑圧されている。生まれた時代や場所は運命であって、どんな形の自由にも代償が伴うものだ。ジョージ・オーウェルが『動物農場』でこう書いている。「すべての動物が平等である。が、一部はもっと平等だ」。それは民主主義、スポーツ、映画、共産主義、社会的地位、その他のあらゆる物事にもいえることではないだろうか。キューバで僕が学んだこと。それは、“この世の中を受け入れ、愛するためには、自分が望ましいと思う想像上の世界や理想的な未来像と現実をこれ以上見比べないこと。今のあるがままを受け止めて、自分自身がその一人だということを喜ばしく思うべきなんだと。それがたとえどんなに最低なものだとしても”。

言葉は通じないものの、アイコンタクトで撮ってもいいと言ってくれてると感じシャッターを切った、という街で見かけたこちらの男性の眼差しは今でも忘れられないとか。

PROFILE

Theophilos Constantinou

ニューヨークのインディペンデントな出版社、〈パラダイム・パブリッシング〉を主宰する。最近ではアレックス・オルソンの写真集『RED』を手がけたことでも話題を集めた。パラダイムが手がける血の通った出版物にはセオが旅を通して得た知見、人間関係が存分に反映される。

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